懐かしのリゾートトレイン「フラノエクスプレス」号!

2016年も今日で最後になりましたが、今日も鉄道に関するブログを書き込みたいと思います。
1986年11月から登場し、1998年11月の特急ラストランフラノで活躍した、JR北海道のリゾートトレイン「フラノエクスプレス」号の写真を掲載いたします。
フラノエクスプレスはキハ80系ディーゼルカーを改造し、国鉄末期の1986年11月に誕生したキハ84系ディーゼルカーです。車両構造はハイデッカー車両のタイプで、北海道の雄大な景色を楽しむ為に改造された車両です。
運転区間は主に、札幌~富良野間を運転し特急ラベンダーエクスプレスやフラノエクスプレスとして、運転されて来ました。しかし種車がキハ80系からの改造の為、JR化後に登場したキハ183系の新製リゾートディーゼルカーのスピードには叶わず、下回りの老朽化も相まって、1998年10月にはさようなら運転として、JR北海道の主要路線を走りました。
そして1998年11月1日の日曜日に、特急ラストランフラノ号として札幌~富良野間での運転を最後に離脱し、その後は札幌苗穂運転所の片隅で長年留置されておりました。
その後2004年に正式に廃車が決定し先頭車を除く3両が順次解体され、残された先頭車も2015年に解体されました。JR北海道としては先頭車だけでも保管したいと思ったのでしょうが、維持費の問題や長年の留置により積雪や強風により、外板の痛み等で老朽化も進行し修繕するにしても、廃車直前のJR北海道の不祥事で、保管どころでは無くなり解体された印象が強いです。
私がキハ84系ディーゼルカーとお目に掛かったのは、第30回鉄道友の会主催のブルーリボン賞を受賞し、ANAのビックスニーカートレインとして運行した年の1987年に、当時の札幌駅地平ホームの0番線で見たのが初めてでした。
当時大学1年生の夏休みに初めて、北海道へ旅をしキハ80系の臨時特急北斗号で函館~札幌を旅した翌日に、キハ84系を見た時はキハ80系の改造とは言え、車内もだいぶ異なった印象でしたので、とても改造された車両には見えませんでした。ただ先頭車の半分の窓枠が、種車の面影を残している感じでした。
フラノエクスプレスの増備版のトマムサホロエクスプレスも誕生いたしましたが、こちらも同じくキハ80系からの改造で誕生した車両でしたが、この車両はJR北海道ジョイフルトレインとしては異色の車両で、JR四国にも乗り入れた車両でございます。またリゾート列車のジョイフルトレインとしては初めての、食堂車も連結されバブル時代の北海道でも賑わいを見せておりましたが、バブル崩壊後の北海道のリゾート地も衰退と老朽化で、トマムサホロも2002年9月の運行を以て離脱いたしました。(その後こちらの車両も、札幌苗穂運転所で解体されました。)
話が脱線いたしまして、失礼いたしました。さてキハ84系のフラノエクスプレスに乗車したのは、何と特急ラストランフラノがさよなら運転された1998年11月1日に最初で最後の乗車を果たしました。前日の10月31日の土曜日は仕事で、夕方の業務終了後に新宿駅のコインロッカーからカートを取り出し、中央快速線(東京)東北新幹線やまびこ号(仙台)寝台特急北斗星号(札幌)特急ラストランフラノ号(富良野)で移動しました。
ラストランフラノ号の乗り鉄終了後は、勿論沿線での撮り鉄も果たしたかったので、富良野島ノ下根室本線の撮影地で走行シーンを撮影いたしました。(写真参照)
この時のキハ84系のフラノエクスプレスが、もの寂しそうな感じで札幌までのさようなら運転をし、役目を終える切なさは晩秋の北海道で、涙が出る程の別れを感じました。
富良野駅でレンタカーを借りて、ラストランフラノ号を撮影した私は、レンタカーを旭川空港へ向け走り旭川空港発の、今は無きJAS東京羽田行きの最終便で東京へ帰りました。
30歳になったばかりの当時の私は、ややハードで無謀な旅もいたしましたが、やはり足を運びブログで伝えられる気持ちは嬉しく思います。
写真は晩秋の根室本線 富良野島ノ下を走る、特急ラストランフラノ号札幌行き。(1998年11月1日撮影)



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