往年のキハ80系は美しいね!

こんばんは。7月も今日で終わりですが、皆さんは如何お過ごしですか。

今夜は、今から56年前の1961年12月に、日本鉄道技術協会で発行された、Japanese RAILWAY ENGINEERING Vol.4 No.2 DECEMBER 1961の表紙巻頭カラーと、キハ80系ディーゼル特急の記事を、写真にアップいたします。

表紙は1961年10月のダイヤ改正前に、向日町運転所(現 京都総合車両所)へ、新製配置されたばかりのキハ80系ディーゼルカーの写真かと思います。

特急かもめ・まつかぜ・みどり(裏表紙に白鳥が掲載されております。)が、向日町運転所から出発に向けての、スタンバイ中の写真だと思います。

京都・大阪から山陽本線福知山線山陰本線を経由し、博多・長崎・宮崎を結び、更に大阪から北陸本線を経由して青森を結んで、運用されていたキハ80系も各特急共に長距離の為、メンテナンスも大変だったのではないかと思います。

曜日毎や週毎で、運転される線区を決めて、走行距離が偏らない様にバランス良く、キハ80系を運用して来た当時の国鉄の、苦労も多かったのではないでしょうか。

キハ80系の場合、編成に関しては基本6両又は7両編成にそれぞれ連結して、12両編成や13両編成で運転されておりましたが、2号車には1等車(現 グリーン車)と3号車は食堂車が必ず、隣り合って連結されておりました。

1961年10月のダイヤ改正で、キハ81系の改良版としてキハ82が誕生いたしましたが、分割併合で貫通扉を設置する事により、通り抜けも可能になりましたので、1967年まで増備が続きました。なおキハ82の前面はディーゼルエンジン大出力版のキハ181系に、受け継がれております。

私もキハ80系に初めて乗車したのは、今から30年前の大学1年生の夏に、北海道の旅で函館~札幌間の臨時特急北斗号に乗車した時が初乗車でした。ただその頃のキハ80系は既にグリーン車や食堂車も廃車されて、普通車のみの編成で、シートも回転シート(所謂ベンチシート)では無く、リクライニング式のシートでしたので、往年の雰囲気が無かったのは残念でした。

北海道旅でキハ80系に乗った時に、大沼公園周りのカーブで、缶コーヒーを溢してしまい床を持参のティッシュで、拭き取った苦い思いでもございます。(笑)

その次にキハ80系に乗車したのは、今から25年前に桑名~紀伊勝浦で乗車した、特急南紀号のグリーン車に乗車した時でした。特急南紀号のキハ80系に関するブログは過去に、当鉄道ブログでも書き込みいたしましたので、読者の皆さんも記憶に有るかと思います。

特急南紀号のキハ80系のグリーン車は、洋式トイレの洗浄水がちょろ水しか出なくて、水回りも含めて老朽化が著しかったのかなと思います。

前述の特急北斗号のキハ80系は、当時発売されていた道南周遊券のきっぷでエリア内の特急は、自由席に限り特急券無しで乗車できましたので、今思えば乗車しておいて良かったと思います。

キハ80系に関する英文ならば、先日掲載した153系電車の英文と同様に、学校英語の勉強が嫌いな人でも、鉄道に興味有れば勉強してみたいと思うのではないでしょうか。

私もマイノリティーな性格の為、メジャーで在り来りな大衆情報は嫌いですが、この様な希少性の有る情報で英文で有れば、高くても資料としてぜひ買ってみたいと思います。

夏休みの勉強もこの様な英文で勉強すれば、英語が苦手な子供たちも、学習意欲が増すのではないでしょうか。

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こちらの写真は表紙巻頭カラーです。(キハ80系が美しい!)

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キハ80系に関する設備の内容が掲載されております。