最初で最後の東武1800系のラストランを撮影いたしました!

おはようございます。週明け月曜日、如何お過ごしですか。

昨日は東武スカイツリーラインの撮影地、埼玉春日部の武里~一ノ割間にて、最初で最後の1800系電車1819編成を、沿線撮りいたしました。

1800系電車を撮影するのは、今回が初めてで私も特急りょうもう号になってからの200系電車には、かなり乗車して来ましたが1800系に関しては、日光線鬼怒川線向けに改造された、300系350系しか乗車した経験が無い為、乗車できないまま終了してしまったのは、残念に思います。

東武1800系に乗車する機会が無かったのは、最盛期に運転されていた時代は、学生時代の頃で有り金銭面の問題や、都内に在住している場所も、全く離れていて乗車する機会が無かったのも理由の1つです。

今でこそ鉄道で移動する場合に、同じ路線・区間を2度乗車する往復での移動は、ほぼ無くなり本格的な社会人になった1991年頃には、200系電車での運転ばかりで1800系に乗車できる機会は無いまま、昨日のラストランまで過ごしてしまいました。

1800系1819系の臨時列車や団体列車として乗車する機会も無いまま、せめて走行シーンの撮影だけでもしたいと思い、昨日は東武スカイツリーライン沿線の撮影地を探しましたが、東武スカイツリーラインの始発駅浅草は、三社祭開催中である事や、隣駅の東京スカイツリーも観光客で混雑と、1800系を満足に撮影できる場所があまり無い為、電車で移動しながらロケーションいたしました。

やはり都内の東武スカイツリーラインの主な撮影地は、沿線での撮り鉄が多く高いフェンスも張られた場所も有り、脚立必須で無ければ撮影できない場所ばかりでしたので、やむ負えず埼玉方面へ足を伸ばしました。

そして高架化区間の駅撮り勢が駅端で、多く撮影している中、私は埼玉春日部のベッドタウン武里~一ノ割間で撮影する事に決め、その時に沿線の線路際から撮影した写真が、下記の写真でございます。

住宅地の中の沿線撮りとなってしまいましたが、その他にこの区間で撮影されている撮り鉄も皆無でしたので、最初で最後の1800系を撮影する事ができました。

真っ赤な塗装で派手目の1800系は、この現代の時代からすると、100系スペーシア・200系りょうもう500系リバティに比べ、昭和時代の派手目のファッションに身を包んだ、モデルの様な感じに見えました。

当鉄道ブログで初めて取り上げた、東武1800系も1819編成の引退で、真っ赤な派手目な塗装も沿線から見られなくなるのは、一抹の寂しさを感じます。

ただ1819編成も1987年12月に、兵庫尼崎に有ったアルナ工機で製造され、東海道本線武蔵野線東北本線(現 宇都宮線)を経由して、EF65PFに牽引された甲種回送のシーンを、当時の鉄道雑誌で閲覧いたしましたが、あれからもう30年以上も経ったのかと思うと、時の流れを早く感じしてしまいます。

ただ急行りょうもうから特急りょうもうでの活躍は短く、特急りょうもうが全て200系に置き換えられてからは、出番はあまり無かったのも残念な結果となりました。

東武鉄道の1800系の処遇が今後、どの様に対応して行くのか気になりますが、再改造をしてスカイツリートレインの様な車両に生まれ変わるのか、或いは群馬館林の廃車解体場へ向け、そのまま全編成を解体するのかが、気になる処でございます。

今後の1819編成の処遇がどうなるのか、見守りたいと思います。

※写真は東武スカイツリーライン武里~一ノ割間を走る、1800系ラストラン団体列車。
最終運転日の5月20日は、天気にも恵まれ晴れ模様の空の元、1800系のラストランに相応しい運転日となった。
なお運転区間南栗橋(回送)東武動物公園~伊勢崎~浅草(回送)南栗橋で走りました。

撮影日2018年5月20日

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