宇野線で初めて撮影した165系急行電車

今日は四国でサロンカー土佐路を撮影する為に、JR四国土讃線の撮影地は、新緑の豊富な場所に多くの撮り鉄で賑わったと思います。その他にもゴールデンウィーク明けの週末ながらも、多くの臨時列車が運転されているのは、新緑の季節で人々が過ごしやすい時期だと言うのも理解できます。

さて今日は今から15年前に、岡山玉野市を走る宇野線の撮影地、常山~八浜間で撮影した165系電車の臨時急行「鷲羽」号の写真を掲載いたします。

急行鷲羽号は1950年10月1日に、大阪~宇野間の準急列車として誕生し、1966年3月5日に急行へ格上げされ1980年10月1日のダイヤ改正で廃止された列車です。愛称は岡山県児島半島南端の瀬戸内海からの眺めが素晴らしい、113mの鷲羽山から命名されました。

関西と四国を宇野~高松間の宇高連絡線経由で結ぶ、連絡列車や関西と山陽地区を結ぶ列車として誕生した鷲羽号ですが、1960年10月1日に山陽本線の倉敷と宇野線の宇野まで電化完成した時に、153系電車で運転される様になり後に165系も運転に加わり、定期列車廃止まで153系・165系で運転されました。

東海道新幹線が東京~新大阪間で開業してから、新幹線からの連絡客の輸送も担う様になり、153系も12両編成で運転される様になりました。しかし1972年3月15日に山陽新幹線が岡山まで開通する様になると、岡山から宇野を結ぶ快速列車へ移行させた事により、昼光列車の鷲羽号は廃止され、夜行急行のみ2往復が残る様になりました。

夜行急行の鷲羽号は深夜に宇野駅で宇高連絡線の乗換を強いられる様になり、航空機や関西と四国を結ぶ富フェリーの台頭により、利用率が低下し前述の1980年10月1日の国鉄減量化ダイヤ改正で廃止されました。

まあ国鉄もその頃は、累積赤字も嵩み新幹線と在来線が重複する区間を、極力合理化して深夜運行できない時間帯に夜行急行として存置したのだと思いますが、大阪から岡山宇野の距離は約210kmなので、幾ら関西と四国を結ぶ連絡列車の急行鷲羽号も、夜行列車で運転するのは効率が悪い距離ですね。

急行鷲羽号で主に使用された153系電車は、1984年に全廃しJRには引き継がれせんでしたが、165系は1986年に中央東線で走っていた急行アルプス号等が、特急あずさ号へ全面格上げの際に全廃された為、165系紀勢本線へ転属となりました。

その後165系も2000年代には老朽化の進行により、2002年3月のダイヤ改正を以て定期運用が終了したJR西日本では、さようなら列車として、大阪~宇野間で2002年3月下旬に臨時運転されました。

まあ鷲羽号の165系も1960年代の後半には既に、運転されておりましたので、私たちの年代以上の世代は懐かしい気持ちだったと思います。

私も鷲羽号は1973年に臨時の鷲羽号を、山陽新幹線車内から見た記憶がございます。その時は新快速色の153系が岡山駅に侵入する処でしたので多分、臨時列車の急行鷲羽号ではなかったかと思います。岡山で新快速色の153系を見られるのも、レアなシーンでカメラが有れば撮影したかったと、幼少期で有った事に残念な気持ちです。

宇野線も瀬戸大橋の開通で、茶屋町~宇野間はローカル線になり、僅かながら岡山発着の列車が走っている感じで寂しい限りです。

JR西日本も今年9月にSLやまぐち号の新製客車へ置き換えられた12系客車が更に、SLびわこ号の客車としてスタートし、そこで捻出されたオリジナルの12系客車とEF65PF1000番台の編成で、客車急行の鷲羽号をリバイバル運転してみては如何でしょうか。

153系・165系は全廃されている為、リバイバル運転は不可能ですが、12系客車とEF65PFの客車急行鷲羽号で運転すれば、中高年世代から上の世代の鉄道ファンは乗車すると思いますし、沿線も賑わうと思いますよ。

豪華寝台特急トワイライトエクスプレス瑞風号以外に、折角の有る旧国鉄型の車両を用いて、鉄道利用者の促進を計って行く事も、これからの少子高齢化に備えた生き残り策だと思います。

写真は宇野線 常山~八浜間をヘッドマークを付けて走る、165系電車の急行鷲羽号。(2002年3月撮影)


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