間もなく解体!さようならEF67-104号機

こんばんは。今日はトイレの日の週末金曜日ですが、如何お過ごしでしょうか。

さて自宅で過去に撮影した写真を整理していたら、山陽本線西条駅構内で撮影した、EF67-104号機の写真が出て来ましたので、今夜の鉄道ブログはEF67-104号機に関する記事を、書き込みたいと思います。

同機関車はEF65-132号機からの改造車ですが、EF65-132号機が製造されたのは、今から47年前の1970年7月20日に、川崎車両(現 川崎重工業)と富士電機で落成いたしました。

新製当初に配置されたのは岡山機関区で、東海道本線山陽本線の貨物列車の牽引機として活躍いたしました。その頃の運転区間は、東京大井の貨物ターミナル~下関貨物の間で運転されていたのでは無いかと思います。

ネット上でアップされているEF65-132号機を見ると、車扱い貨物列車のワム貨車やコンテナ貨物列車のコキを牽引し、高度成長期末期の鉄道貨物輸送に貢献していたと思われます。但し1960年代半ばから道路整備も進み、高速道路の開通も有り国鉄時代の貨物列車も、ダイヤ改正毎に減少しておりましたので、EF60のスピードアップ版だったとは言え、EF65の0番台一般型も今から思えば、やや製造し過ぎだったと思います。

その後EF65-132号機は1987年4月に国鉄からJR貨物に移籍されましたが、配置区は岡山機関区のままでした。その後1988年3月に瀬戸大橋線が開通し、JR四国の電化区間まで貨物列車の牽引機として橋を渡ったのでは無いかと思います。

1990年に山陽本線の瀬野~八本松(通称セノハチ、以下同じ。)の後押し補機で活躍していた、EF61の200番台が老朽化の為、余剰気味だった岡山機関区のEF65一般型の最終グループが、セノハチの後押し補機に抜擢され、広島工場でセノハチ補機運用の改造工事を受けました。

EF65-132号機は改造工事後EF67-104号機に改番され、1990年11月9日に落成いたしました。そして外観の塗装も従来の青基調から、広島モミジをイメージした赤基調の塗装に変更されました。その他にパンタグラフも菱形パンタグラフから下枠交差のパンタグラフに交換され、従来のイメージからガラリと変わってしまいました。

その後は山陽本線セノハチでの限定運用で、貨物列車の後押し補機のみの運転となり、貨物列車の先頭に立って牽引したり旅客用客車の牽引に使用される事も無く、25年以上もセノハチ補機で活躍して来ました。また2004年頃に実施された更新の際には、外観のライトが改造されたりしました。

EF65-132号機として製造され通算、45年以上走り続けたEF67-104号機も老朽化により、故障や運転トラブルも発生して来た為、2013年夏から製造されたEF210の300番台に置き換えられ、2015年に運用を離脱いたしました。

運用離脱後は広島機関区に保管されておりましたが、今年10月の広島機関区一般公開の際に、EF66-36号機と共にヘッドライトが一般発売され、もぎ取られておりましたので、外板の解体も間もなく実施されるものと思われます。既にパンタグラフも外されておりますので、少しづつ部品取りして不要な部品は、スクラップされるのでは無いでしょうか。

40年以上活躍して来たEF65-132号機も前半の人生は、東海道本線山陽本線の貨物列車の牽引機で活躍し、セノハチ補機として改造された後はEF67-104号機に改番され、山陽本線の貨物列車の後押し補機として運転して来ました。

トータルで地味な機関車だった同機も、物流を支える重要な役割を果たして来ましたので、車体は間もなく解体されますが40年以上の運転、お疲れ様でしたと労いたいと思います。

さようならEF67-104号機よ。

撮影日2002年5月19日 西条にて。


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