短命に終わった小田急9000形電車

こんばんは。週末土曜日の夜、如何お過ごしですか。今夜も今朝のブログと同様に、小田急電鉄に関するブログを書き込みたいと思います。今朝のブログでは、小田急の特急ロマンスカー30000形EXE電車に関する記事を書き込みました。今回は通勤型電車9000形に関する記事です。
1972年に営団地下鉄(現 東京メトロ)千代田線(以下 千代田線)との相互乗り入れ対応車として登場した、小田急9000形電車が2006年に全廃されてから10年経ちました。
6両固定編成50両と、4両固定編成40両の合計90両が1972年から1977年に掛けて製造された9000形電車は、デザインの良さと千代田線乗り入れへの期待を込めて、1973年鉄道友の会から第13回ローレル賞を受賞いたしました。
ファンにとって9000形電車は車体前面のデザインや、塗装も含めて好評だった車両でしたが、運転手からは制動効果の面で嫌われ、メンテナンスの現場からは重装備過ぎて嫌われた車両でも有りました。
何だかこの様な書き込みをすると、ある有名人や芸能人はファンに愛され、業界からは嫌われている人間の様な感じですが、小田急9000形小田急線沿線から、千代田線への初乗り入れに対応する為に、当時の営団との乗り入れ協議で、地下鉄区間を走行する為に厳しいA-A基準や車内の難燃化等に対応しなければならず、地上専用の5000形電車に比べれば重装備になるのも、やむ負えない面も有ったと思います。
ただ千代田線内を走行する為に、加速度が他の通勤型電車に比べアップされている面もあり、1990年3月のダイヤ改正で後継の1000形に譲ってからは、普通列車を中心に活躍いたしました。千代田線での運用と小田急線での地上運用とどちらも乗車経験ございますが、普通列車での加速度は他の通勤型電車よりも早かった記憶がございます。
2001年には全車パンタグラフが、シングルアームパンタグラフに交換され、2005年の廃車開始から2006年の全廃に掛けては特に変化も無く、普通列車以外でも準急・急行で運用され後継の3000形電車への置き換え完了を以て、小田急線上から消えました。
特殊車両でも有った小田急9000形電車は、人間と同様に出る杭は打たれる存在の様な車両でしたが、良きデザインとローレル賞受賞車両だっただけに、あまりの早い全廃は残念だったと思います。
現在、千代田線には1000形電車に代わり4000形電車が、JR常磐緩行線にも乗り入れております。9000形のJR常磐線の走行は見られないまま終わりましたが、私たちファンにとって小田急9000形電車が千代田線乗り入れで大きな事故や故障も無く、無事に使命を全うした姿は賞賛できると思います。
もし1編成でも喜多見・唐木田・相模大野・海老名での車両区に残って動態保管されていれば、9000形電車もイベント臨時列車として運転されていたと思います。箱根湯本へも地上線運用になってから乗り入れておりますが、秋の箱根の紅葉を楽しむ日帰り旅行で、9000形電車の急行を利用された方々も多くいらっしゃるかと思います。
小田急の鋼鉄型通勤電車も、残すところ8000形電車のみとなりましたが、車体塗装のメンテナンスが他のステンレスの通勤型電車に比べコストを要しておりますので、何時まで運転されるか分からない状況です。更に経年30年も経っておりますので4000形の更なる増備で、今後は予断を許さないと思われます。
この週末を利用して記録されることを、お薦めいたします。
写真は小田急線の撮影地、栢山~開成間にて新宿行き普通列車9000形電車。(1999年6月撮影分)


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