鉄道ファンには人気だったが現場では嫌われた小田急9000形電車

おはようございます。週末土曜日如何お過ごしでしょうか。

昨日は元プロ野球選手の野村克也さんの奥さんの、野村沙知代さんが、85歳でお亡くなりになられたニュースを聞き、女優の浅香光代さんとの論争を、思い出した方も多かったのでは無いでしょうか。心からお悔やみ申し上げます。

さて最近、鉄道ブログの更新ペースが1日1回になってしまい、申し訳ございません。今週は多忙な日が続き、最低1回の更新になってしまいましたが、来週から2回更新をして行きたいと思っております。

今日の鉄道ブログは、1972年から1977年に掛けて、90両が製造された小田急9000形電車の写真を、公開いたします。

小田急9000形電車は小田急電鉄の一般通勤型電車で唯一、ローレル賞を受賞した車両で1973年にデザイン性や、営団地下鉄(現 東京メトロ)千代田線との乗り入れを考慮し、従来に無い性能を有した車両と言う事で、鉄道友の会から受賞されました。

千代田線との乗り入れを前提に、設計された車両の為、他の小田急一般通勤車とは異なり、かなりの重装備になった9000形電車は、メンテナンスを受け持つ現場や乗務員から不評を得ておりました。当時としての技術的な要素は未だ、試作段階だったのも重装備になった一因でしたので、運転履歴としては他の通勤車と異なり寿命も短かったのは、残念でならない点だと思います。

しかしながら小田急を愛する鉄道ファンにとっては、前面デザインの面を含めて従来の小田急一般通勤車に比べ、好評を得ていた様でしたのでその辺りは9000形も、恵まれた点だったのでは無いかと思います。

千代田線への乗り入れは1991年3月で終了し、それ以降は千代田線乗り入れ車両として、1000形電車が運行に就き9000形電車は小田急線の地上運用のみとなりました。ただ加速性能が優れていた点も有り、普通列車の運用に就く機会が多かったですが、それでも急行・準急運用にも定期的に入っておりましたので、9000形の急行が新宿から小田原・箱根湯本・藤沢・片瀬江ノ島又はその逆の運用を含めて、乗り得な面も有ったと思います。

9000形電車は2005年から2006年に掛けて、次世代の新型車両に置き換えられ、2006年3月にさようなら運転を実施した後は、9001の先頭車を除いて廃車解体されました。

小田急の一般通勤車も将来的にはステンレス製に統一して、コスト低減と効率化の計画は進行しております。以前、当鉄道ブログで8000形電車に関する記事も書き込みいたしましたが、唯一の鋼鉄車体の一般通勤車も、引退は刻々と迫っております。

9000形電車は小田急のコスト低減と効率化で、犠牲になった面も否めませんが最盛期の頃の9000形は、小田急線全線と千代田線運用で、輝いていた車両だったと思います。

※写真は小田急小田原線の栢山~開成間を走る、小田急9000形電車の新宿行き。新宿~小田原間の普通列車もこの頃は今に比べ、かなり多い本数で有った。



撮影日1999年7月撮影


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