中学生時代の頃に行ったスキー教室が、嫌で堪らなかったです!

こんにちは。週末日曜日にネガティブな書き込みをいたしまして、申し訳ございません。
今から30年以上前の中学1年・2年の冬休みに、当時サッカー部に所属していた私は、通学していた区立学校の冬季スキー教室が、嫌でたまりませんでした。
何故嫌なのかと言うと、12月25日の夜に出発し電車で新潟県の湯沢中里へ、3泊4日の地獄のスキー教室だったからです。
それも女子生徒は参加しない、男子生徒が所属する運動部のみのスキー教室で、テンション下がりまくりのスキー教室でした。
翌日26日は朝食後、朝からスキーの練習で、今まで経験してこなかった私は当然、スキーも下手で教師の厳しい指導の中での練習と寒さで、早く暖かい自宅に帰宅したい気持ちばかりで、スキーの練習をいたしました。
同級生ともそれ程、仲の良い同級生はほとんど居なかった為、当然面白く無くあまり皆ともコミニュニケーションを、取りたいと思うこともございませんでした。
唯一の救いは当時の上越線で、中学1年生の時に上越国境を通過する特急とき号・いなほ号はくたか号を見ることができたのが救いでした。その他にも急行佐渡号や、貨物列車も見られたのがせめてもの救いです。
湯沢中里スキー場は山間のスキー場ですので当然、日が沈むのは早く太陽が山影に隠れてしまうと、よりいっそう寒さが込み上げて来る場所でした。
その他に楽しく無い環境としては、集団団体生活の為、夜の寝泊りは団体用の大部屋で就寝でしたが、何故かタコ部屋様な感じがして、早く帰りたい気持ちばかりが強かったです。
翌年中学2年生の時は、もう来年は受験生で行かなくても良かったので、やや気が楽になりましたが、嫌いな同級生と更に嫌いな下級生が部に所属する様になり、おまけに上越線上越新幹線の開業で列車は激減し、やって来た列車は185系電車の特急たにがわ号の、越後湯沢行きを見た時は嬉しかったくらいでした。
スキー練習や最終日の本滑りも大して面白いと思いませんでしたが、まあ一員としては親や教師から半ば強制的に、参加を強いられたことや、運動部の男子生徒ばかりの環境で視野が狭く偏屈な同級生や下級生、更にやたら厳しい男の教師が何人も居て、団体用の旅館でタコ部屋での寝泊りでだったこと。それらの要因が重なりスキー嫌いになりました。
まあ元々、行きたくない地元の区立中学校に通学し、自分自身の選択肢も無い状況で黒歴史の中学校生活を過ごしましたので、人生の後半を過ぎた私は自分の気乗りしないことや、嫌なことに関しては「NO」を突き付けて、人生の後半を豊かに過ごせる様にしたいと思います。
当時の学生時代に関するブログは、また改めて書き込みたいと思います。