東日本大震災から6年経過しました

6年前の2011年3月11日の14時46分に発生した、東日本大震災は死者15884人、負傷者6146人、行方不明者2633人を出し、現在も約12万人の方が、避難生活を余儀なくされております。

鉄道路線も例外では無く、東北地方の鉄道を中心に大きな被害を受けました。東日本大震災が発生した2011年3月11日は金曜日で、翌日はJRグループダイヤ改正の日で、九州新幹線全線開業前日でした。

東日本大震災が発生した当日は、派遣先を休みダイヤ改正で廃止されるJR西日本の特急列車の撮影で、大阪方面に向かう予定でしたが、当日になり腹痛が激しくなり、撮り鉄を断念いたしました。

その後、腹痛も治り昼に本屋へ行く用事ができたので外出し、本棚で必要な書籍を探していたら、大きな揺れと本棚から本がどんどん床に落ちて来て、店員の方から「危ないですから避難して下さい。」との声に只ならぬ予感になって来ましたので、駅前広場へ避難したら周辺の方々も次々と、避難して来ました。

その後も大きな揺れは続き、近くを走っていた地下鉄も安全確認の為、運転見合わせとなり乗客が強い余震が続く中、不安な表情で駅の外へ避難しておりました。

約30分後に自宅へ帰宅し、テレビを付けたら東日本大震災の映像が次々と映し出され、その日は終日テレビに釘付けとなりました。

私自身その時、遠出をせずに自宅周辺での外出で済みましたので、帰宅困難者にならなかったですが、読者の皆さんも6年前の震災が、遠い出来事の話では無く今も身近に起こりうる自然災害に、不安と無念な気持ちで入り混じっていると思います。

前置きが長くなりまして、失礼いたしました。写真は宮城県の本吉~小金沢間の大谷海岸を走る、気仙沼線のキハ48系ですが、この区間も前述の震災で大きな被害を受け、現在は鉄道路線では無くバス路線の、気仙沼BRT線として運転再開されました。同時に大船渡線の一部区間も、BRTシステムが採用されました。

BRTされた区間鉄道路線の駅から離れた場所へ、停留所が設置された処もあり、写真の区間もBRTでは通らない場所かと思います。

東日本大震災は被災地の人口減少にも拍車を掛け、気仙沼線沿線も震災前に比べ、過疎化や少子高齢化の影響を受けておりますので、もしかしたらこのまま鉄道としての普及は断念し、バス路線への転換が全線に渡って進行するのではないかと懸念しております。

常磐線も不通区間も今秋、竜田~富岡間が開通し運転再開される見込みですが、福島第1原発事故発生現場から、近い場所になりますので、運転再開が決まっても列車本数は震災前の頃に比べると、激減されるのではないかと思います。

6年間を振り返り、鉄道路線の復旧が進行していない路線は、今後JR東日本から地元へ路線廃止に向けての協議も行われそうで、地元の自治体もこれからの課題をどう受け止めて行くのかが、問われて来そうです。

写真は気仙沼線大谷海岸を走る、キハ48系普通列車気仙沼行き。もうこの区間を再び線路が敷設され、鉄道が走る日が来るのであろうか。(撮影日2007年6月23日)



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