JR四国で活躍した111系電車

こんにちは。お盆休みで故郷や海外旅行で、今日も駅や空港のターミナルは、混雑した1日だったと思います。

JAL日航ジャンボ機も、群馬の御巣鷹山に墜落し、520名近くの乗客・乗員の方々が犠牲になってから、今日で32年目を迎えました。遺族の方々も高齢化を迎え、年々慰霊登山はハードになりますが、事故の教訓を生かして欲しいと思います。

さて私はお盆休みの期間中を利用し、朝から副業のオーションで商品を出品をしておりました。まあこの時期で皆さんお出掛けされておりますので、落札されるか否か分かりませんが、私は特にお盆休みもございませんので、副業の仕事もこなしながら、自由な時間と仕事をミックスして、過ごしたいと思っております。

今日はJR四国で1987年から2001年まで、予讃線を中心に運転された、111系電車の写真を掲載いたします。

国鉄末期に静岡運転所(現 JR東海 静岡車両区)から転属し、宇高連絡線で瀬戸内海を渡り、四国へ初上陸した111系は内部の改造や外板塗装の変更を受けて、営業運転に充当される様になりました。

JR発足から間もない頃は、岡山まで足を運び、普通列車として瀬戸大橋を通過したりした111系ですが、1988年の8月に四国へ足を運んだ時に、111系で岡山から高松まで、移動した事がございます。

ただ前述の通り、車内も改装されオリジナルの111系の面影は無く、全く新しい電車のイメージでした。その時の111系電車は製造から四半世紀以上が経っておりましたが、イメージチェンジされた111系電車と言った感じで、塗装も新快速よりも淡いブルーとホワイトを基調にした電車でした。

ただ老朽化も激しかったので置き換え用として、6000系電車がデビューし2001年3月の運転を以て終了した111系は大半は解体されましたが、一部はJR四国多度津工場に保管されております。

111系にしてはJR四国で約13年近い活躍は、奇跡の活躍だったのではないでしょうか。

写真は予讃線 讃岐府中~国分間を走る、111系電車の高松行き。

1998年6月撮影


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