11月11日に因み17年前に運転された、113系イベント列車を思い出しました!

今日は2016年(平成28年)の11月11日ですが、今から17年前の1999年(平成11年)の11月11日に、JR東日本横須賀線で、クハ111-1111を先頭にして運転された、横須賀線のイベント臨時列車が運転された日でもあります。
イベント運転された当時は、平日の木曜日で113系使用のイベント列車も時刻まで拘り、大船駅を午前11時11分に発車し、午後1時11分に戻るダイヤで横須賀線の大船~久里浜間を運転いたしました。
当時私は30代で、正社員の頃で仕事も忙しくまた有給休暇も取得できる状況で無かった為、残念ながらこの日のイベントに関する写真撮影や乗車体験はできませんでした。
読者の鉄道ファンの中には、17年前の113系イベントで写真のクハ111-1111へご乗車された方やサロ111のグリーン車へ乗車された方もいらっしゃると思われますが、乗車体験は如何でしたでしょうか。
因みに113系クハ111-1111の車歴は、1974年6月20日日本車両で製造され、1999年12月2日に廃車解体される迄、一貫して千葉の幕張車両センター(配置当時は幕張電車区)で活躍して来ました。鉄道の経済的な寿命である四半一世紀を横須賀線総武快速線一筋で活躍して来た同車は、日本車両の製造元である愛知県の豊川から、東海道本線をスカ色で東上して回送されましたが、配属当初は総武快速線横須賀線と直通運転されておらず、またグリーン車も連結されていない頃でしたので、活躍当初は東京から千葉を通り、外房線の大原や内房線の木更津迄、運転されていたものと思います。
1975年には成田線総武本線等の電化開業により、運転範囲も広がり成田迄、運転されることになりましたが、成田空港は建設工事中で、和で何処か田舎らしい雰囲気が漂う、撮影地のモノサクこと物井~佐倉を通過していたと思います。
1980年に横須賀線東海道本線との分離運転を実施し、総武快速線と乗り入れることになりました。当然クハ111-1111も活躍の場所が更に広がり、横須賀線久里浜迄の直通運転と、グリーン車2両を新たに連結して引退廃車迄の基本的スタイル編成を貫きました。
1987年4月に国鉄からJR東日本が発足しても、クハ111-1111は国鉄末期の長距離転属や運用変更も無く、引き続き総武快速線横須賀線で運転され、1991年3月の成田空港迄の延伸工事完了後は、成田空港行きの快速エアポート号で運転に充当されたりもしました。
1994年12月老朽化が激しく、総武快速線の沿線人口増加および、成田空港利用者の増加輸送に対応すべく、113系電車を置き換える為に、209系通勤電車の近郊電車版としてE217系が誕生し試運転の後に、結果が良好だったことから113系を順次置き換えて行くことになりました。
そして1999年12月のダイヤ改正で、総武快速線横須賀線で長年に渡る113系の運転は廃止され、イベントで運転されたクハ111-1111も呆気なく廃車解体されたのは残念であります。
しかし総武快速線で東京駅から東海道新幹線東北新幹線上越新幹線とも接続し、成田空港への輸送や房総方面の通勤・観光輸送として貢献して来た功績は大きいと思います。
今から20年前に品川駅から総武快速線に友人たちと乗車し、今は無き113系グリーン車で成田空港輸送用に新製された、5号車のサロ113グリーン車も、今となっては無理にでも乗車しておいて良かったと思います。113系唯一の新製リクライニングシートグリーン車で、定員は少なく新製当初は首都圏で嫌われ成田空港工事も難航し、関西で走ったサロ113も利用者が少なく1980年10月に廃止され、再び首都圏に戻って運転開始した時は、とても嬉しかったです。転属し首都圏に戻った同車は、湘南色でしたが順次スカ色に塗り替えられ、湘南色とスカ色混結は見られなくなりました。
113系は現在、JR西日本JR四国で走っておりますが、現在活躍中の同車も老朽化が進行し、JR型の次世代電車への置き換えは進むと思われますので、撮影や乗車される方々はお早目に済ませますことを、お薦めいたします。
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