さようなら583系寝台電車

こんにちは。東京は雨模様の天気で休日、日曜日の天気が悪いのは残念な気持ちになります。

昨日は奥羽本線で、583系寝台電車のラストラン運転が行われました。因みに関東では浦和~日光間を、レトロ日光号が、EF64+DD51プシュプルで旧型客車を牽引し運転されました。

運転区間は秋田~弘前間の運転で、週末なのに何故か昨日の8日のみの運転で、JR東日本のツアー企画としては、やや中途半端なイベント列車での運転でした。

奥羽本線の撮影地は、陣場~白沢間や、陣場津軽湯の沢等の撮影地に、撮り鉄が最後の583系を撮影しようと、カメラを構えて撮影された方々も、多かったと思います。ヘッドマーク寝台特急あけぼの号をリメイクした様な絵入りのヘッドマークで、団体・臨時と言った感じのヘッドマークで無かったのも、ファンの心を配慮したのかなと思います。

私が583系に最後の乗車をしたのは、2012年2月に新潟から大阪へ移動する時に、急行きたぐに号のA寝台で移動したのが最後になりました。また583系を最初に乗車したのは、今から24年前に急行津軽号のグリーン車で、秋田から青森へ移動した時が最初でした。

583系乗車に関しては遅まきのデビューでしたが、食堂車だけは残念ながら国鉄時代に全廃してしまった為、乗車することができず、食事も摂れなかったのは心残りでございます。まあ学生時代はお金も無く、勉強や部活で1日を過ごして来て、大学時代も学費を稼いでバイトと掛け持ちしておりましたからね。

社会人になってお金を稼ぐ様になった時に、独り身の私は日本全国を旅しましたが、その時は子供時代の経済的事情やお金が無かった事で、自分で稼ぐ様になったら旅の頻度も多くなりましたね。まあそれも1人暮らししてからですが。(笑)

書き込みが脱線いたしまして失礼いたしました。さて583系も最後は6両編成のモノクラスで、581系から続く約50年近くの営業運転を終了いたしましたが、やはり1編成でも良かったので、10両~13両のグリーン車・食堂車連結の編成はイベント用として残して欲しかったと思います。

国鉄時代の1964年から末期の1987年3月末までは、累積赤字で年々労使の関係も悪化して来ましたし、余裕も無かったのも理解できますが、1980年10月のダイヤ改正で減量化ダイヤと1982年の11月の上越新幹線の開業で、いち早く効率化運用として、急行列車への使用や直流区間での運行のみで、有効活用していれば中途半端な419系や715系にわざわざ改造する必要も無く、全うできたのではないかと思います。

JR東日本ではこのゴールデンウィークから、次世代豪華列車の四季島が営業運転開始となりますが、交直流電車としての機能と非電化区間ディーゼルモードで運転し、電化・非電化区間の運転や青函トンネルも通過可能な、システムになっております。

四季島の元になったのは583系だと思いますので、改良型の豪華寝台列車として、日本の大地を走行して欲しいと思います。

最後に583系へ長きに渡る運転、有難うございました。そしてさようなら!

写真は東北本線 金谷川~松川間を走る、リバイバル特急はつかり号の583系。(撮影日2001年4月28日)


イメージ 1