時刻表復刻版1964年9月号です

こんばんは。8月最初の日曜日、如何お過ごしですか。

何度か当鉄道ブログで、時刻表復刻版を掲載しておりますが、今夜は1964年9月号の時刻表の一部を、掲載いたします。

東海道新幹線開業前の1964年9月号の時刻表は、東海道本線の特急・急行・夜行列車の数多くが、廃止される前の最後の華を飾る時刻表でした。また表紙巻頭カラーは寝台特急20系客車の、あさかぜ号がこの月の表紙を飾りました。

この時代はまだ日本も高度成長期時代で、働いて頑張れば給与もアップし、マイホームやマイカーも頑張って働けば、手に入る時代でした。確かに高嶺の花でしたが、今の低成長期時代で少子高齢化社会で無く、貧しいながらも人々は生き生きとしていた時代だった様ですからね。

さて今日は先程のブログでもお伝えいたしましたが、広島へ原爆が投下されてから72年目を迎えた日ですが、東京と広島を結んだ、特急つばめ号が運転されたのは、1962年6月10日から1964年9月30日まで運転ですが、151系のこだま型特急電車が、11時間10分の所要時間で結んでおりました。

東京からの停車駅は、横浜・沼津・静岡・名古屋・米原・京都・大阪・三宮・姫路・岡山・福山・尾道・三原・広島と停車いたしました。前述の通り、1962年6月10日から東京~広島を運転した特急つばめ号ですが、1962年10月のダイヤ改正までは、静岡を通過し安倍川鉄橋で乗務員交代の停車をしていた様です。(掲載写真に山陽本線下りの頁を一部掲載しております。)

この頃の特急つばめ号の停車駅で興味深いのは、何故か浜松・岐阜・神戸・倉敷は通過している点ですかね。まあ本来で有れば滋賀県の県庁所在地の大津も、この当時は特急の停車が皆無で、急行列車ばかりが停車しておりましたね。多分理由としては、京都に近い事や当時は、特急利用者が少ないと思い国鉄が特急列車を、大津に停車させなかったのかが理由でしょうかね。

さて東海道新幹線開業前の東海道本線は、線路容量の関係で特急・急行・準急・普通列車以外に、貨物列車も同じ線路で運転されていた為、年々増える旅客需要に追い付かず、軒並みどの列車も混雑が激しい状況でございました。

その関係で国を挙げての東海道新幹線建設プロジェクトを推進し、突貫工事で東京~新大阪間を開通させましtが、まあその時代は日本もまさか今の時代の様に、少子高齢化社会になるとは思わなかったでしょうね。現在ではJR東海が東京~大阪を結ぶ、リニア新幹線を建設しておりますが、少子高齢化で人口が激増するには、移民を入れるしか無い日本で、リニアモーターカー新幹線を建設しても、乗車する人なんてそう多くは無いのではないでしょうか。

今夜の鉄道ブログも、脱線気味の話題になりましたが、日本が最も元気で活気の有った時代は、1964年の東京オリンピック開幕から1970年の大阪万博博覧会までだった事を思うと、栄枯盛衰をもろに受けた世代が多い日本人の価値観を、見直す時期に来ているのではないでしょうか。

東海道新幹線を利用しての出張も、ネット社会の到来や将来的にAI化が進めば、出張利用者も減少して行く事でしょうからね。現にJR東海東海道新幹線の効率化を進めておりますからね。

53年前の時刻表を閲覧し、今の現状について考えた1日でした。



イメージ 1


イメージ 2