山陰を走ったきのくにシーサイド号

1999年4月29日から同年9月19日に、和歌山県南紀熊野体験博輸送として、大阪の天王寺から和歌山の白浜を結んだ、イベント臨時列車の「きのくにシーサイド」号が運転されました。

車両は12系客車と24系客車を改造し、24系改造車両の2号車は展望車に生まれ変わり、その他の車両は381系のグリーン車からの座席を流用した指定席で、運行されました。また車両の塗装も牽引機のDE10 1152型ディーゼル機関車を含めて、橙色・青色・灰色を組み合わせ、白色帯を加えた塗装に変更されました。

このジョイフルトレインの特色は、4号車が先頭に立つ場合に、機回しの手間を省く為に先頭部を改造して、運転台を取り付け推進運転(ペンデルツーク方式)が採用され、12系客車の独特の顔として、きのくにシーサイドの特徴でもありました。まあ理由が1号車側に機関車が連結される機会が多かったとのことでしたので、これならばもう1両DD51型ディーゼル機関車もきのくにシーサイドの塗装にして、DE10型ディーゼル機関車とのコラボで、運転すれば良かったのではないかと思います。

南紀熊野体験博終了後は、1999年の大晦日天王寺と和歌山の新宮を結ぶ列車、きのくにシーサイド2000としてミレニアム運転されました。ただ翌年の2000年7月20日から運転区間が、和歌山~新宮間での運転短縮になったのは、大阪や京都・神戸在住者の鉄道ファンにとっては、残念だったと思います。まあ阪和線過密ダイヤ対策かと思われますが、大阪天王寺から客車の発着を、久しぶりに観られると喜んだ鉄道ファンのは、特急くろしお号や特急はるか号が発車する中、華やかな客車発着が無くなったのですからね。

その後、きのくにシーサイド号は2007年8月のさようなら運転迄は、JR西日本の各路線でもイベント臨時列車として駆け巡りました。

掲載写真は鳥取県内の山陰本線を走る、きのくにシーサイド号ですが撮影当時の山陰本線で客車列車は、DD51型ディーゼル機関車牽引の寝台特急出雲号(24系25形)のみでしたのでこの当時、キハ58系の最後の活躍を撮影する鉄道ファンにとっても、良きお土産になったと思います。また山陰本線で塗装変更されているとは言え、DE10型ディーゼル機関車が、きのくにシーサイドのヘッドマークを掲げ米子方面へ走行するシーンは、圧巻だったと思います。

私がきのくにシーサイド号を見たのは、今日のブログで写真を掲載した山陰本線の泊~松崎間と、2005年2月に山陽本線の小野田~厚狭間をEF65PFが牽引する、きのくにシーサイド号を見たのみで、乗車は残念ながら叶いませんでした。

この写真を撮影した当時、以前当ブログで紹介した米子支社のジョイフルトレイン「ほのぼのSUN-IN」も運転されていた時でしたので、鳥取か島根でのイベントに際して、運転された可能性が強いと思います。

現在、きのくにシーサイド号は2007年8月の、さようならきのくにシーサイド号で、育った和歌山の串本~新宮での運転を以て終了し車両も廃車されました。

JR西日本ジョイフルトレインも、経年の高い車両から改造された列車が多い為、現在運行中のジョイフルトレインも予断は許さない状況です。乗車される方や撮影される方はお早目に済ませますことを、お薦めいたします。

ただし引退や廃止ばかりではありません。来春デビューのトワイライト瑞風がデビューいたしますので、将来はきのくにシーサイド号が走った和歌山と今回写真を掲載した鳥取を結ぶ、トワイライト瑞風号が運転される可能性もあると思います。

両地区共に海に面し、和歌山の太平洋のサンセットを楽しみ、鳥取サンライズを楽しめるスタイルの、トワイライト瑞風号が運転されるかも知れませんので、それまで新しいジョイフルトレインとして、次世代の車両の活躍を楽しみたいと思います。

もしかしたら試運転列車も、将来走るかも知れませんよ。

写真は山陰本線 泊~松崎間を走る、きのくにシーサイド号。(2003年9月撮影)


イメージ 1