先頭車が犬の形をした南海特急こうや号20000系電車の英文

アメリカ映画の「荒野の七人」(古くてすいません)が公開された1960年の翌年、1961年に大阪難波と和歌山の高野山の最寄駅の極楽橋の、63.8kmを結ぶ特急としてデビューした、南海電車の特急20000系の英文記事を、鉄道ブログで紹介いたします。

読者の皆さんからは、当鉄道ブログで半世紀前の英文資料を掲載している為、「南海の記事で何回目や!」と思われている方や、「英文資料で何の意味か分からず、南海電車の記事で更に難解になったや!」と思われている方も、いらっしゃるかと思います。

夏休みに入り、小学生?や中学生の児童・生徒のお子さんも、当鉄道ブログを閲覧されていると思いますし、学校から出された宿題で、頭を抱えて憂鬱な気分の子もいらっしゃると思いますので、私から自由研究のヒントに参考なる様な、鉄道ブログを掲載しても良いかと思いここ数日、英文の資料の鉄道ブログを、更新しております。

まあ義務教育で習う英語の授業は、受験英語の様なものですので、内容的に興味をそそる様な内容で無い場合が多く、また授業では複雑な文法の授業をメインに教育しておりますので、外国人との会話や交渉力を対応とした、英語教育になっておりません。

もし読者の方々で鉄道ファンやそうで無い方も、この様な冊子1頁分の英文で有れば、鉄道に興味が無くても、掲載された南海20000系の英文記事ならば、まだ読み応えが有るのではないでしょうか。

1961年にデビューした南海20000系電車は、エクステリアデザイン(前面形状)を、スイス連邦鉄道のTEE用電車の、RAeTEE形を参照にデザインされました。前面が何処と無く犬の様な可愛らしい感じのデザインで、クリームとワインレッドのツートンカラーも、より明るさを増している様な感じの仕上がりでした。

車内のインテリアデザインは、百貨店の高島屋が担当し、その当時の近代的な車内に仕上げました。また座席も国鉄1等車(現グリーン車)並みのリクライニングシートで、シートピッチは1050mmとゆったりした仕上がりになりました。

この様な独特のスタイルでデビューした南海20000系電車ですが、製造コストが高く1編成の製造で終了してしまったのは残念でした。この1編成が元で、冬季は高野山への観光客輸送は、定期点検の影響で運休になりましたから、さぞ関西の観光客も不満だったのではないでしょうか。

さて南海特急こうや号の20000系も、製造から20年経った頃から老朽化も目立ち始め、一時は更新も検討された様ですが、1編成しか無く部品も払底して来た事から、代替車両の新製と通年運行を考慮した結果、後継の30000系が1983年に4両編成2本が製造され、20000系は1985年1月に老朽化により廃車されました。

30000系登場後は20000系もさようなら運転で、臨時特急こうや号等に使用されましたが、スマートスタイルの30000系デビューにより、犬の前面形状で愛嬌有った20000系が、廃車されたのは残念な事でした。

4両編成のうち、中間車2両は廃車後、直ぐに解体されてしまいましたが、先頭車のみが大阪府泉南郡岬町に有る、みさき公園に静態保存されておりました。しかし屋根の設置もせずに雨ざらしのまま静態保存していた為、外板の腐食や破損等により、1994年に残念ながら2両とも解体されました。

現在、南海20000系を見る事はできなくなりましたが、往年の資料をネットに公開する事により、日本が高度成長期で活気有った頃の、当時製造された鉄道車両のデザインを、少しでも後世の皆さんに伝える事は、有益になると思います。

読者の皆さんも苦手な英語を、好きな英文を読んで克服してみては如何でしょうか。


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日本鉄道技術協会 1961年12月号より。