悲運の近郊型電車

鉄道車両でも、当初の計画通りの運用を見越して、製造された車両は数多く有りますが、人間と同様に思う様な能力を発揮できずに終わる車両もございます。

写真は(※)1978年に製造された、417系交直流近郊型電車(交流は50Hz・60Hz対応)です。(以下417系
この車両は国鉄時代に東北仙台等の地方線区で当時、客車列車運用されていた普通列車が、2デッキの扉で運用され通勤・通学時間帯に遅延を引き起こし、手動扉で安全性の問題もあった為、普通列車の輸送改善として誕生いたしました。

417系は1978年に仙台地区での運用に、3両5編成の15両が製造されました。運転区間東北本線の黒磯~一ノ関間でで運転され、仙山線の仙台~作並間でも一時運転されました。(配属は仙台運転所 現 仙台車両センター

2扉ステップ付で、車内はボックスシートと車端部はロングスシートの車内構造で、ボックスシートも急行型車両と同様にゆったりした造りでした。

417系は仙台以外の運用で秋田・金沢地区での運用も計画しておりましたが、国鉄の財政悪化により前述の15両で製造は打ち切りになりました。また当時の国鉄の方針では、北海道以外の交流区間は、交直流電車にする方針でしたので、417系も交直流電車として登場しましたが直流区間での運転は、山口県下松にある日立製作所笠戸工場からの出場時に山陽本線東海道本線東北本線黒磯迄の直流区間の自力回送と、交流区間の60Hzでの試運転は門司~南福岡での試運転だけに留まり、2007年7月1日の運用終了迄、一貫して東北仙台地区の前述の区間で一生涯を過ごしました。

当時の国鉄財政悪化と、その後のJR各社の新型車両の方針が変更されてしまった為、持ち分の能力を発揮できずに宝の持ち腐れになってしまったことは否めないと思います。

15両製造のうち現在、第三セクター阿武隈急行でA417系としてトップナンバーが1編成運用されておりましたが、この車両も今年3月26日のダイヤ改正で運用を終えました。そして明後日には阿武隈急行で、ラストラン運用となります。
またそれ以外の417系4番が、宮城利府に機械扱いで車籍の無い状態で、保管されております。

筆者も417系に乗車したのは、新白河~郡山間を移動した時に乗車しました。415系電車と異なり空気ばね台車で、ゆったり移動した覚えがございます。その時に乗ったのが最初で最後でしたが、国鉄時代の悲運の交直流近郊型電車での乗車体験は、今でも貴重な思い出です。

※ 東北本線 金谷川~松川間にて 2001年8月 撮影(福島県
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